2006年11月25日

基地外にて

特措法検討していた=沖縄知事選での敗北を想定−久間防衛長官

 久間章生防衛庁長官は23日夕、長崎市内で講演し、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題に関し、先の沖縄知事選で与党が推薦した仲井真弘多氏が敗北した場合を想定、代替飛行場建設に必要な公有水面の埋め立て権限を県知事から国に移譲するための特別措置法制定を検討していたことを明らかにした。 
(時事通信) - 11月23日21時0分更新

こちらのサイトから転載。

これも無茶なニュースで、
沖縄の人々には一切
選択の余地が無い事を示してます。

そんななんでもかんでも「特措法」で通るなら
「岡村ちゃん特措法」を作って欲しいですよ。
(自由に歌っていて欲しい)


futemma1.JPG



こちらは別サイトから大転載。
先日の琉球行脚の時に垣間見た
「沖縄の抱える困難さ」の一端を、また少し知りました。

普天間に揺れる街--名護市長選 
2006年01月12日
●基地 心引き裂いた 和の里二分 図った自殺

 米軍普天間飛行場の新たな移設先とされた沖縄県名護市の辺野古崎から大浦湾を挟んで北東に6キロ。嘉陽地区は人口100人余の集落である。 昨年末、地区で小さな食堂が開店した。食事処(どころ)「和」。店主は宮城広さん(62)。三線(さん・しん)をひく首筋に、白く変色した跡が帯状に残る。 5年ほど前、自宅で首つり自殺を図った。間一髪で妻に見つけられたが、しばらくは後遺症で腕が動かず、三線のバチも握れなかった。

 かつて、宮城さんは基地受け入れ反対運動の先頭に立っていた。 96年の日米特別行動委員会(SACO)合意を受け、移設先に辺野古沖が浮上した。宮城さんは97年、反対住民でつくる「二見以北十区の会」の初代代表になった。 近くの市役所支所での発足式には、500人以上が集まった。市役所を取り巻く「人間の鎖」を成功させ、東京や大阪にも講演に出向いた。

だが、政府が振興策をちらつかせ始めると、離れていく人が相次いだ。 「何で反対するんだ。(基地が来なければ)あんたがおれの面倒をみるか」 地区で酒を飲んでいて、遠縁の男性にそんな言葉を投げつけられた。狭い集落。親類には土建業者もいる。「考え直せ」という電話もよくかかった。 眠れなくなり、気がついたら外を徘徊(はい・かい)していた。自殺未遂後、1年間入院。 その後、会は解散した。いま、会のプレハブ事務所の跡は草に覆われ、看板だけが残る。

 辺野古崎案になると、飛行ルートは嘉陽地区の真上だ。宮城さんは「反対の気持ちは今でも変わらない。でも、運動にかかわり、自分を失いたくない」という。 やっと持てた店を守り育てたい。いまはそれだけだ。市長選にも積極的にかかわる意思はない。
 
基地移設を受け入れた側にも、心の傷は深い。

 移設先を間近に望む辺野古の前区長、嘉陽宗健さん(51)は01年4月、「心配しないで」と妻に書き置きを残し、マイカーで家を出た。すべてから逃げたかった。 フェリーで鹿児島に到着した直後、警官に止められた。家族が捜索を頼んでいた。2カ月入院した。

 区長は地域の自治組織の取りまとめ役。嘉陽さんが務めた2年余り、地元は移設に対する賛否のはざまで揺れ続けた。 99年、区の意思決定機関である行政委員会は移設反対を決議。だが翌00年、「移設は望まないが、辺野古に有利になるよう条件整備などを行う必要がある」と、玉虫色ながら条件付き容認に転じた。嘉陽さんは政府が示した国立高専誘致などの振興策に期待し、地権者の説得に当たった。だが、二分された区の状況が胸をさいなんだ。 「容認派、反対派、両方の言い分がよくわかった。毎日あっちこっちから責められ、パニックになった」 失跡先から戻り、振興策でできた国際海洋環境情報センターに嘱託事務員として雇われた。週末は自前のボートで漁に出て、タコやエビを取る。 「モノがない時代は、こうした海の恵みで生きていた」と思う。区には少数ながら、移設反対で座り込むオジイやオバアがいる。基地建設を食い止めている彼らに、感謝したい気持ちもある。市長選でまた地域が割れることには、耐えられない思いがする。
 集落により近づいた辺野古崎案には反対だ。だが、政府との交渉が進み、ぎりぎりの判断を迫られればどうか。答えはまだ出せない。

 名護親方(な・ぐ・うぇー・かた)の呼び名で民話にも登場する18世紀沖縄の為政者、程順則が中国から伝えた「六諭(りく・ゆ)」の中に「和睦(わ・ぼく)郷里」の一項がある。狭い地域社会で親兄弟、隣近所がいがみ合うことを避ける教えとして語り継がれてきた。市長室にも「六諭」の書がかかる。

 だが、基地移設への賛否を問うた97年の市民投票以来、住民は二つに引き裂かれてきた。辺野古崎案という新たな火種を得て、さらなる分裂の予感におののく街で15日、市長選が告示される。

●森挟んで被害と恩恵
 昨年暮れ、沖縄県名護市に一館だけ残っていた映画館「名護シアター」が20年の歴史に幕を下ろした。 「客足が落ちて、どうしようもなかった。疲れた」。館主の又吉良全さん(65)はそう言う。 42年前、又吉さんが前身の映画館に映写技師として勤めだした頃の名護は随分違った。4館あった映画館にヤンバル(沖縄本島北部)一円から客が集まった。那覇やコザ(現沖縄市)など中南部に比べれば貧しいが、文化的で落ち着いた雰囲気をたたえた古い街。そんな名護が好きだった。

 「今は誰もが国の金を当て込んで、浮足立っている。足元の文化を顧みず、身の丈にあった街づくりを忘れている」 又吉さんが憂慮するのには、訳がある。 館から約300メートル離れた名護十字路を中心に、旧市街地を大規模に再開発する構想が持ち上がっている。原資に見込まれているのは、米軍普天間飛行場の移設と切っても切れない国の北部振興予算だ。00年度からの10年間で総額1千億円を保証された同予算も折り返し点を過ぎ、名護市では「最後の大盤振る舞い」(市職員)への期待が高まっている。市長選でも地域振興は大きなテーマだ。

 「商店主の高齢化が進み、販売意欲も減退している。国の補助で再開発を進めてもらえれば、何とかなるはずだ」 名護十字路近くにある食料品卸会社の専務崎浜秀一さん(47)らは昨年6月、再開発に向けた地権者団体を結成した。 一帯の商店街は元々、豚肉や乾物を販売する公設市場を中心に、ヤンバル最大の商業地として戦前から栄えた。だが、15年ほど前から郊外の大型量販店に客が移り、「シャッター通り」と呼ばれるほどさびれ果てた。

 「反対してもどうせ基地は押しつけられる。だったら、その代償を街づくりに生かさなければ」 崎浜さんがそう考える背景には、名護市が普天間移設を受け入れて以降の政府の振興予算が、移設先の辺野古区がある市の東海岸側に集中的に投下されてきたことへのいら立ちがある。 名護市は70年、辺野古区を中心とする東海岸側の旧久志村と、西海岸側で都市部の旧名護町など1町4村が合併して誕生した。東西の地区は深い森に隔てられている。 名護十字路に店を構える飲食店のバーテンダーは「基地の話は夕方のテレビで『あ、こんなことがあったんだ』と思うくらい。山一つ隔てただけで、ひとごとになってしまう」と語る。

 一方の辺野古区。行政委員の一人は「東と西は文化的にも違うのに合併してしまい、いまや何の基地被害も受けない人たちが恩恵だけを吸い取るようになった」と嘆く。
 「日当もらって座ってるんだろ。1日4千円出るって聞いたよ。いい身分さ」
 名護市街地を流す50代のタクシー運転手は、基地移設に反対して辺野古の海岸で座り込みを続ける人を指して、そう言った。市長選でも、新たな移設案の是非など関心がない。「どれだけ経済をよくしてくれるかだね」 実際は反対派の座り込みに日当など出ない。だが、「あいつらだって金のため」と思い込むことで、山向こうの新基地を意識の外へ追い出そうとする。基地移設の是非を問うた市民投票からの8年間で深まった傾向だ。

●基地からの自立探る
 先月28日、沖縄県名護市数久田(す・く・た)の公民館は千人を超す人で埋まった。作業服姿が目立つ。建設、土木、生コン……。岸本建男市長の後継者として立候補を表明した市議を推す企業の総決起大会。市議は熱弁を振るった。 「(国の)北部振興の継続で、仕事を分かち合える、みんなが少しでも仕事をもらえる状況をつくりたい」 97年に普天間移設を容認して辞任した比嘉鉄也前市長(78)も応援に立ち、「(新しい移設案の受け入れは)今度は1千億円ちょっぴりではできない。那覇空港から名護までモノレールを持ってこい」とぶち上げた。 「ニライカナイ(海のかなた)から福を呼ぶミルク(弥勒)さん」。比嘉前市長は、傍らの市議をそう紹介した。 名護湾では70年代までイルカ猟が盛んだった。イルカはニライカナイの神々からの寄り物(ゆ・い・むん)(贈り物)。基地移設に伴う振興策もまた、「寄り物」に他ならない。 市議を支援する市建設業協会役員は「国が辺野古崎案に変更した今が新たな振興策を取るチャンス。選挙は『移設反対』で乗り切り、後で変えればいい」と屈託がない。
 普天間の受け入れ表明以降、市には国の振興策で、情報技術者を育成するマルチメディア館や国立高専などが相次いで建設された。だが、期待したほど土建業界は潤っていないとの指摘もある。 準大手の建設会社役員が打ち明ける。「工事の半分は本土ゼネコンが持っていく。年1件取れればいい方。1件もない業者は下請け、孫請けで食いつなぐしかない」 市の建設関係約200社のうち、一昨年は大手を含む5社、昨年も同じく6社が倒産した。

 普天間の新たな移設先となった辺野古崎を望む瀬嵩地区。稲嶺盛良さん(49)は3年前からイノブタ飼育を始めた。山で捕れたリュウキュウイノシシとブタを掛け合わせ、いま15匹。知人の店などに安く譲って試食してもらい、商品化を目指す。「『振興策なしで、どうやって食っていくんだ』という賛成派の問いに、答えを示してやりたい。意地ですよ」 市内の小さな建設会社の重機オペレーターだった。97年、基地移設反対運動に加わった。業界挙げて移設促進に動く中、同年暮れの市民投票の直前に会社を辞めた。 幼い頃から親しんだ山原(ヤン・バル)の自然を収入につなげられないか。仲間と語らい、98年、エコツアー会社「エコネット美(ちゅら)」の設立にもかかわった。20人余のスタッフが、亜熱帯の林の散策やサンゴの海のシュノーケリングなどの「観光」を提供する。修学旅行生らを中心に年間2千〜3千人が訪れるまでになった。 社長の具志堅勇さん(60)の本業は市内有数規模の洋ラン栽培。「山原が息長く自分の足で立って生き残るには、農業や漁業など自然を生かす以外にない」と考える。市長選では、振興策頼みからの転換を投票の基準にするつもりだ。

 「農漁業を中心に山原の自立的発展を探る」との考え方は本土復帰翌年の73年、当時の革新市政が市基本構想に盛り込んでいる。開発至上主義に対して地域固有の文化や自然を対置し、別の「豊かさ」を創造する――。そんな哲学に基づく発想だった。

 前市長時代、振興策と引き換えに基地との共存を選んだ名護。今回の市長選で、自立への戦略が改めて問われる。
posted by TAVITO at 19:15| 東京 ☀| ★911ファンタジア★ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

世界はあっという間に変わります

防衛省法案、今国会で成立へ…1月にも省に昇格

 防衛庁の省昇格関連法案は12月上旬にも今国会で成立する見通しとなった。

 民主党が24日、官製談合事件の再発防止の徹底などの条件が満たされれば法案に賛成する方向で調整に入ったためだ。国民新党も賛成の方向で、反対は共産、社民の両党だけとなる公算が大きい。政府は、法案が成立すれば、来年1月から防衛省に衣替えし、防衛長官を防衛相とする方針だ。1954年に発足した防衛庁の名称変更は初めて。 民主党は24日の外務・防衛部門会議で、〈1〉官製談合の再発防止〈2〉自衛隊員の海外無断渡航や機密情報の漏えいなど不祥事の再発防止〈3〉イラクでの自衛隊の活動は、「本来任務」とせず、「付随的任務」として行う〈4〉麻生外相らの核保有論議容認発言に関する集中審議――の4条件が満たされれば、賛成する方針を決めた。政府の国会答弁や法案の付帯決議で4条件を担保することを検討している。民主党は29日の「次の内閣」で最終的な対応を決定する。
(読売新聞) - 11月25日3時13分更新

こちらの記事の転載です。

16_Yae_Kiku.bmp

防衛庁が防衛省に格上げだってよ。
これは単なる「呼称の変化」では済まされない事ですね。
また知らない間にどえらい事が決まりつつある。
1月ってもうすぐじゃん。。。

軍国日本、復権の足音ですね。

もうTV嫌いとか雑誌嫌いとか言ってられないな俺。
マスコミなんて嫌い信用できないとか、言ってられなくなってきた。

「盗聴法」の時も「共謀罪」の時も
「自衛隊イラク派兵」の時も、
自分はそれらの言葉を耳にかすらせただけ、
例えば電車の中吊り広告でチラッとみかけただけで、
調べようとも知ろうともしなかった。
他に考えている事がたくさんあったので、
世間の動きを知らずに居ることを
無意識に正当化して、見過ごしていた。
自分ごときに何が出来るんや?という思いも有ったし。
こんな言いかたしたら見も蓋も無いけど、
中卒で頭パーだし器も限りなく小さいので、
そんなにたくさんの事をいっぺんにはやれないわけですよ。
とても焦っていたけどね、後回しにしていました。

でも、もういかなる理由によっても
自分の無知さを肯定できなくなってきた。

それらは全て911ファンタジア制作に
密接に関係しているし、
自分や、これから現れてくる
若くて新しい音楽家の皆さんの表現の自由や
もっと言えば日本人、日本含むアジア人、
地球人みんなの生命に関係しているから。

どうやって様子を知ったら良いのかな。
単体の情報をどこまで信用できますか。
複数のソースを参照するのが良いのでしょうか?



〜追記〜
先日紹介した映画「地獄に堕ちた勇者ども」をぜひ観てみて下さい。
かすかな兆候が寄り集まった瞬間、
急速な変化がやってくる。
僕はずーっと言い続けてきた。
「退屈」なんて嘘ですよと。
そんな言葉が虚しくなるくらい、
世界はあっという間に変わります。
日常は簡単に崩壊します。
僕達の国は今、とても危険な状態にあると思うのです。
posted by TAVITO at 17:02| 東京 ☀| ★911ファンタジア★ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月24日

核兵器なんていらない

言わせず、含めた「非核4原則」認めない…中川会長

 自民党の中川政調会長は23日、岐阜市で講演し、自らが提起した日本の核保有論議に党内外から批判が出ていることについて、「最近は、(核兵器を)作らず、持たず、持ち込ませず、言わせずの『非核四原則』と言うそうだ。私は非核三原則は認めるが、四原則は認めない」と反発した。

 さらに、「議論もしては駄目だという人がいるのであれば、今度は五原則で『考えさせず』となることを恐れる」と指摘し、「日本を侵略させないために何ができるか考え、最大限努力する必要がある」と論議の必要性を重ねて強調した。

 中川氏は8日の講演では、米中間選挙の結果や北朝鮮の核問題をめぐる6か国協議の行方を見守る必要があるとして、核保有に関する発言は当面、控える意向を示していた。
(読売新聞) - 11月23日21時5分更新


こちらの記事の転載です。

bomb.jpg

不勉強で、この中川というおっさん
(おばはんじゃないよね?)が何者かは知りませんが
政治家なんだったら
核論議をぶち上げる前に
やるべき事はいくらもあると思われます。
まともな外交とか。

日本が核兵器を保有したらアジア全体に大変な緊張が生まれ、
諸国が軍事化を加速させ、
状況は100年以上後退してしまう、
いや、それどころじゃないか。

TVを見ない自分にも伝わってくる事として今、
北朝鮮が核実験を成功させた/させないと
世界中で話題になっているようで、
日本ではマスコミがしきりに
「恐怖の蔓延」を助長しようとしているようですが
ここで感情的になったら負けだと思います。

唯一の被爆国として、
そして少なくとも高度成長以来約50年に渡って
物質的に最も豊かだった国民として、
これまで享受した平和を足場にしながら
新たな発明を紡がなくてはならないのでは。

核も持たず、軍隊も持たず、
アメリカなんかの殺戮にも連れ添わず、
しっかりと立つ方法です。


絵空事のようですが、
難しくても、なんとか実現しなきゃならない。
あらゆる可能性を総動員して、
ウルトラCを決めなきゃいけない。
それは、地球的に見ても、日本人だけが、
なんとかやれそうな作業なのです。
核の実体験もあるし、宗教的な縛りも少ないし、
今のところ金と人材もあるから。
いや、日本人だけで完結できる事ではもちろんないわけですが、
つまり、日本人が口火を切って始めるべき作業と思うのです。

素面のまんま、それをこう呼びたい。
「愛と理性のウルトラC」と。
まあ今パッと思いついた言葉なので
そのうち恥ずかしくなって言い換えるかもしれませんが
少し気に入っていますよ愛と理性のウルトラ。。。

最近、「愛国心」という言葉が履き違えられ
矮小化されていると感じますが、
「愛と理性のウルトラC」を達成して始めて
日本という美しい土地に報いた事になるのではないでしょうか。

平和に亀裂を入れるのは本当に簡単。
これしきの事で核を想像してしまうなんて、甘っちょろいです。
「アジア中、そして世界中が仲良くなる。」
まるでメルヘンのようですが、過酷で、
不可能性の極端に高い課題です。
こちらの方が遥かにやりがいがあるよ。
posted by TAVITO at 03:27| 東京 ☔| ★911ファンタジア★ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月28日

怖くなったものと、もともと怖かったもの

「地獄に堕ちた勇者ども」という映画を観た。
ツタヤにおやつ会のための歌謡曲CDを借りに行ったら、たまたま目の前にあった。
ナチが制作した「反ユダヤ広報映画」のドキュメントを数日前に観て
アウシュビッツの地獄絵図をまず凝視したことで、
よくは知らないナチの起源への疑問と嫌悪が膨れ上がっていた所だったので、
これはそれに接続するものではという予感を持ち、借りてみた。

THE DAMNED.jpg

ルキノ・ビスコンティ監督有名だし、流石の自分も名前だけは知っていたけど
その名の響きだけでもなんとなく高尚でムズカシイ雰囲気がして避けていたものだ。
実際に観てみると、なによりの楽しみがあった。
舞台はドイツ。
1933年ナチス台頭前夜から話は始まり、鉄鋼王国一家の壮絶な没落を描く。
軍需産業体としてナチに日和るか否かの政略的葛藤、相続を巡っての骨肉の争い。
影で全てを操るのは一人のナチ将校。
一家だけではなく、倦怠、倦みの果てに誰もが死んでゆく。
かつてのドイツが死に行き、時代が急激に様相を変える。
カギ十字、党旗、SSのコスチューム。ナチの赤黒のイメージは強烈。
あまりにも強圧的で美しい赤黒が街を覆ってゆく。
ある種の観客はこの完璧な映像美に囲い込まれて
深層のファシズムへの希求を隠し切れなくなる。
2006年、今現在の日本にもどこかで対応する感覚だと思う。
映画は恐ろしい。
作者の意図を遥かに超えて、映してはならないものまで写しとってしまう。

魅惑的な登場人物を配して基本は心理劇だが、
ちょっと景色が動いただけでイメージの洪水、戦争状態になる。
完璧にコントロールし切れてる絵なんて一つも無い。なのに完璧。
これは大勢の才能を動員して制作していく「映画」の特権だなあと思う。
音盤でいくら無理して物語の成立と際限の無い豊穣を志向しようが
映画というフォーマットには敵いようが無いと思ってしまった。
そんな事を思ってしまったら911ファンタジアをやめて首をくくるしか無い筈だが
今回、割りにあっさりとそう思ってしまった。
絶対向いてないと知りつつも、いつか映画が撮りたいなぁと思ってしまった。
すぐ打ち消したけど。
徒党を組むのが好かんし映像センスなんか欠片も無いし、俺には無理じゃ。
うん、音楽、声も含めて音波のみで出来ているという音盤の強みを、
もっと鮮明にしていかないとな。
根性さえあれば一人の人間が無資金で織り上げられるというのも音楽物語のイカス点。

それにしても素晴らしい映画だった。
登場人物の誰もが印象に残ったけど、1番ロックンロールだったのはこの人、
DVDのジャケにも配されて、主役扱いのマルティン。
女装をすれば可愛くって仕方ない一級品のオカマ。
小娘を近づければどうにもプラトニックな一級品のロリコン。
薬物を近づければ。。。ナチ将校を近づければ。。。
ヒステリックで妖艶なお袋を近づければ。。。と
倒錯の総合デパートのような彼が果たす、華麗なる転向、
そして最後に司る、死の結婚式。

マルティンが居る事によって、この映画は「他人事の史実」では無くなる。
彼のような「外側の人間」さえ飲み込んだ、ナチスという新しい力とは何だったろう?
それとも、ヒトラーという半ば狂った画家志望の男、
「外側の人間」にだけ想像しえたのがナチス?

今回気づいたけど、ハーケンクロイツはどうにもPOP過ぎるのだ。
だから僕はPOPが怖い。広告も怖い。集団ヒステリーが怖い。
人間の欲動に上手に溶け込みながら、目に見えない権力が無限に生成され続けていく。
ファシズムのむしろ真裏に有るものだろうが、
無自覚で、自分のチンポの位置も知らないで、善人で、悪気も無くて、
上手に徒党を組んで、マニアックなものに詳しくって、先人の残りカスで商売を続ける
近年の刺激的音楽シーンも怖い。
誰もが気づかないうちに暴力と権力の源泉なのよ。
幻覚を行使するならば
「幻覚を行使しますよ!」と前置きしてくれよ。
自分の手が常に血にまみれているという事を知覚出来なければ、
気づかなければ、罪悪観念さえ湧かないでしょう。
俺は俺の道で一人で生きて死にたい。
しかし、いずれにしても、もっともっと勉強しなくては。
ああいう事(ナチ的なもの)は際限なく繰り返されてしまうのと違いますか?
恐怖した。

嗚呼、数少ないまともキャラ、ヘルベルトの奥さん役をやってた
陰のある女優さんが正当の美人ではないかもしれないけどやたらと綺麗だったなぁ。
好きだ。
こうやって脱線して締め括れるとこがまた
「映画」という反則的で危険なやり方が持つ豊穣さの一端だよなー。

究極の映画音痴だったはずの自分が夢中になりつつあります。
週に1本くらいは観たいなー。
posted by TAVITO at 16:55| 東京 ☀| ★911ファンタジア★ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月17日

南無阿弥陀仏から911へ

昨夜NHK1チャンでやってた番組をたまたま途中から観たのですが
本当に感動して何か家日記に書きつけたやつを
ブログ用に少しだけ修正しました。

筋ジストロフィー。
全身の筋肉が徐々に萎縮して死に至る病の青年が
震える手に鉛筆をにぎり
たくさんの「微笑みの絵」を描き続けている様に、
目を覚まさせられる思いがした。
1枚につき1人の微笑み。
入手した写真を元に、イメージを加味して微笑ませてゆく作業。

人間が笑っているとこっていうのはなんて綺麗なんだろう。
110枚集めて個展をし、それが終わったら
モデルとなった人々に絵をプレゼントするのが夢だという。
現在の枚数は目標の半分ほど。

それまで命が続くかはかなり微妙で、
どんどん筋肉組織が死に、筆圧は落ちていく。
初期に描かれた絵とはもう全然タッチが違う。
太く濃い線は消え、
かげろうの様な淡い揺らぎの世界。
しかし絵は衰弱するどころか強度を増しており、
たたえる微笑は果てしなく優しさと深みを増してゆく。

並べられた50数枚の笑み、壮観だった。
彼の意図とは無関係に、僕は勝手な感慨を持った。
これはまるで「南無阿弥陀仏」
親鸞の教えを彼が実際に示して見せてくれているような気がした。
悪人だろうが何だろうがどんな人間でも
ある瞬間にたちどころにして救われるという事は、
本当かも知れないと思った。
もちろんモデルの人々は悪人ではないだろうし、
「悪人」、「悪」って何かといったら定義は難しい。
ただ、人間を絡めとって
その場に100年でも1000年でも押さえ込んでしまう悪いものが
彼の筆に掛かるとパッと抜け落ちてしまう。無化してしまう。

彼は78年生まれ。79年生まれの自分とは1歳しか違わない。
よどみの無い鋭い瞳。笑った瞬間の柔らかさと大きさ。
本物の芸術家の顔をしていた。
こんな顔した28歳って滅多にいないでしょ。
僕は自分の生ぬるい顔を思い出し、うんざりした。
喉に穴を開けて人工呼吸器にし、命を繋いでいる。
(ドキュメントが進むにつれ病状は進み、
心臓もペースメーカーで補強することになった。)
声と引き換えに呼吸停止を先延ばしたという事だろうか?
声帯の震えを伴なわないその音は小さな泡のように微かだけど、
整然と理知的な言葉を話す。
一言一言にひたむきさ、重量、輝きを感じた。

彼を支える家族も魅力的だった。

人気作品のモデルとなった歳の離れた妹さん。

5年前に先立ってしまった全く同じ病気の双子の弟さん。
負けないくらい素晴らしい画家で、兄弟はライバルだった。
この双子のシンメトリーな関係が5年前、死別によって崩れた瞬間から、
彼の「微笑みの連作」が始まる。

明るく元気な姉ちゃんは彼らが絵を始める事になった契機を与えた人。
筋肉組織が弱ってゆく事を見越して
初めてのアルバイトの給料で油絵の道具をプレゼントした。
「油絵ならばもし筆を落っことしてもまた
 ぺたぺた塗り直しができるだろうと思って。」
そんな風なことを言っていた。

そして菩薩のような(としか言いようの無い)母ちゃんが
終始たやさない強靭な笑顔。
ちょっと見た事ないくらい綺麗かった。美しかった。
母ちゃんが終盤、記者の質問に対して一瞬涙を流したのだが、
すぐに笑顔で打ち消すその様が、なんとも色っぽかった。
苦労だらけの田舎のおばちゃんなのに、
グラビアアイドルの1億倍ほど色っぽい。


終盤彼はどうしても作品として残したい主題があると言い出し、
微笑み連作をいったん置いてしまった。
これは意外な展開だった。
ただでさえ間に合うか判らんのに、今から別の事を?

巨大なキャンパスに油絵で表現しようとするそれはなんと、
911の光景だった。
彼がその主題に対して抱くプレッシャーは、
あまりにもタイムリーに僕とシンクロした。
911以後の違和感について真摯に語る彼を観て、
僕は、この人が生きてるうちにどうしても会いたいと思った。
なんでそばにいないんだろう、と思った。友達になれたら最高なのに。
でも会いに行くのも厚かましいし、
僕は僕でたんたんとやろうと思った。

その後、
実際に100号のキャンパスが配置された段になって、僕は震えた。
常軌を逸している。

1年前の映像より遥かに彼は弱って見えた。
錯覚でも予感でもなく、死は目の前にある。

これから第一歩として、
PCで作成した設計図を巨大なキャンパス上のカーボン紙に貼り付け、
ペンでなぞっていくという作業。
健常者ならあっという間である。
しかし彼は腕を浮かせた状態でキープするのがやっとなのだ。
A4ほどの小さな画用紙に、
指先の小さな動作で苦労して鉛筆画を書いてきたのである。
だからこれは無茶なのだ。
全細胞の願いを込めて、腕の先端にだけ奇跡を起こし、
なんとか持続させてきた、
そんな条件下で立ち上げる計画ではない。
キャンパスでかすぎるぞ。手が届かないよ。物理的に無理でしょ。
こんなもん終わるんかい。
なぜ自力でそこまでやろうとする?
下地の転写ぐらい誰かに任せちゃ駄目なのかね?
きっと駄目なんだろう。
気持ちはわかるけど、無茶だよ。無茶苦茶。
命があるうちに、完成させて欲しいから
人の手も是非借りて欲しい。

番組は終わってしまった。
続きが気になるじゃないか。。


〜追記〜

今日僕が見た内容がほぼ同様の状態で記事になってました。
別番組のサイトだと思うんだけど。

http://www.nhk.or.jp/kira/04program/04_226.html


彼のブログをみつけた。全ての記事を読んでみた。
おぉ、TV制作サイドの編集×彼自身のパフォームの
フュージョンで成り立っていたさっきの番組からは
決してうかがい知る事の出来ない「毎日の彼」は、
底抜けにおもろかった。。

http://yaplog.jp/artist_masashi/
posted by TAVITO at 16:08| 東京 ☀| ★911ファンタジア★ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

お元気ですか?

お元気ですか?
僕は珍しく風邪をひいてしまい、
録音作業のため捻出した時間のうち3分の2、倒れていました。
歌入れを大量にやろうと思っていたのですが
喉が壊れてしまって無理でした。
ほんまに情けない。
しかし精神的には元気いっぱいだったので
複雑化した音データの類を整理したり、
見損ねていた資料を紐解いたりしていました。
タリバンについて書かれた本や、
アフガンの映画監督が撮った映画などです。
そこから枝葉をひろげる形で
ベトナム戦争に関する有名映画「地獄の黙示録」を初見。
それと対になるものと勝手に決め込んで
ゆるい気持ちで観始めた「イージーライダー」
息抜きのつもりだったけど想像以上に良かった。特に終盤が。
そのうち何か書きたいけど。

あのね、ずっと悩んでいた「映画が観られない病」を
今、完全に克服した感があって、めちゃめちゃ嬉しいです!
2時間座り込んで
映画という他人のイメージの総合体に身を委ねられる
精神の健康やのりしろを担保するものは、
穏健な生活状況やないかと思う。
まあ映画監督には良くも悪くも病気みたいなヤツが多いんじゃないかとは思うけど。


さてさて、実はまたいくつかのLIVEが近づいてます。
覚えてますか?
京都、名古屋、那覇!

LIVEカレンダーへどうぞ。

この半年間で弾き語り独演を始めてから
学ばせてもらった事、多かったです。
「911ファンタジア」仕上げのため
しばらく演奏活動を停止するつもりなので
残ったこれらのイベントで、何かを爆発させたいと考えています。
あなたに会いたいものです。
観に来てもらえたら嬉しいです。


〜追伸〜
アッ!そういえば西部講堂のイベントは
14:00openに変更されたようです。
七尾は開幕直後の14時45分から、
勝井祐二さんと何か演ります。
その後はその辺で遊びます。
posted by TAVITO at 13:22| 東京 ☀| ★911ファンタジア★ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月08日

レコード屋の無い街なんて最悪

http://www.daily.co.jp/newsflash/2006/10/07/0000132476.shtml

【米タワーレコードが廃業へ】
 米連邦破産裁判所は六日、経営破たんした米音楽ソフト販売大手タワーレコードを清算会社グレート・アメリカン・グループに売却することを承認した。米メディアによると、売却額は約一億三千四百万ドル(百六十億円)。同グループは店舗や資産などを清算、廃業させる計画で、実現すれば約三千人の従業員が失業する恐れもある。 タワーレコードは一九六〇年にカリフォルニア州サクラメントで誕生、若者の音楽文化の象徴的存在だった。アップルコンピュータのiPod(アイポッド)などデジタル携帯音楽プレーヤーで聴く有料ネット音楽配信サービスや、量販店最大手ウォルマート・ストアーズなど異業種に押されて業績が低迷していた。 タワーレコードを経営するMTSは今年八月、連邦破産法一一条(日本の民事再生法に相当)の適用を申請。経営再建を目指していたが、断念せざるを得なくなった。 日本のタワーレコードはMTSから独立しており、今回の売却承認の影響は「全くない」としている。 AP通信によると、タワーレコードは全米二十州で八十九店舗を展開。破産法の適用申請時には約二億ドルに上る負債を抱えていた。

たしか先月くらいから出てたよなこのニュース。
いよいよ法的な片がつきつつあるということですか?
日本は無関係としているけど、
心斎橋店の閉店とか寂しいニュースもあるし心配。

いつも、
「夏フェス嫌いじゃ!なぜなら俺を出さないから!」とか「ワシにもNO MUSIC, NO LIFEって言わせろや!」とか「アップルのインストア手伝ったのにIPOD買いに行ったら店員に怒られた。。。」とか「ワイのマネージャーは結局、一回もワイのCDを聴かなかった。。。」とか「日本の先鋭音楽は実際のところオール全てお遊びで、国府達矢とか灰野さんとか後数えるほどしか◆魂音楽が辿る必要進化◆を果たした音楽家はいないのじゃ!彼らは前衛などではなく、ただただひたむきにソウルミュージックなのじゃ!ソウルミュージック万歳!欲しがりません、勝つまでは!」とかブーたれて、あらゆる波と無縁の一人の人間が工夫したり無理したりして勝ち上がる道というのを妄想しているまあ良いんだか悪いんだか判らないけどいつの間にか完全にそれが生きがいの一つになってしまっていて隅っこでキーキー言ってる
醜い腫れ物のような自分なんだけど、
やっぱりこういう時は本当に暗澹とした気分になるよ。
大切な仲間を失ってしまう時の感覚に陥る。


30年後に出てくるミュージシャンとか、どんなふうなんだろうな。
全くちがうパラダイムの中で、
全くちがう苦しみを抱えて音楽に立ち向かうのだろうか。
それは、今よりずっとキツイのだろうか? それとも。
業界の様態がどうなろうと、
「音楽」それ自体の魅力は永遠に不変だと思う。
音楽に魅せられてしまった子供達は
大船いや泥舟に乗ったつもりでそれにとち狂えば良いと思います。
舟なんて要らない。
素潜りをしたら良いのじゃないかと思います。
それが楽しいのだし、真実により近い歩き方なのだから。
ただ、音楽を商業的に生かそうとしてきた、
大きなエネルギー、小さなエネルギーの行く先は?

米国の音楽を取り巻く状況はラジオなどのメディアも含めて
どんどん味気なく平坦に無機的になって行ってるのではないかと
そんな気がします。
日本はどうだろう?
誰よりもまず音楽家が過熱しないといけないな。。

米タワーレコードのこれまでの努力に敬意を表します。
今後タワーを買い取って後を継ぐ会社が
タワー経営陣の100分の1でも音楽好きだと良いけど。


現在制作中のアルバム「911ファンタジア」は近未来のお話で、
2枚組の中盤では、
全世界が見守る中、世界最後のレコードに針が落ちる光景を
楽曲化しています。
本当にそんな事になったら寂しい。

レコード屋の無い街なんて最悪。

そういえばNYハーレムでBOBBY'S HAPPY HOUSEという
最高のレコード屋を見ました。
そのうち書きます。


no1a.JPG
posted by TAVITO at 12:08| 東京 ☀| ★911ファンタジア★ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月22日

帰国しました

グラウンドゼロにて。

zero.JPG


今夜帰国しました。
本当は昨日のはずだったのですが
米国の航空会社はかなりいい加減で、
離陸して2時間後に計器不良が発覚して
カナダ上空から引き返すなどトラブルが相次ぎ、
一日延びました。

ワールドトレードセンター跡地には計3回行きました。

明後日、勝井祐二さんを交えての≪歌の事故≫なので
それを終えてから
なにかしら記事を作れたらと考えています。



×××××××××××××××××××××××
さて、924≪歌の事故≫を終えましたので
NYでの出来事をいくらかお伝えしたいと思います。
まず是が非でも書くべきグラウンドゼロの事から書きました。
それ以外の事は後日、この同じ記事の中に追加UPしていきますので
少々お待ち下さい。

≪到着≫
13日夕方、JFK空港からタクシーでブルックリンの宿に入った。
見ず知らずの僕を自宅に泊めて下さったのは友達の友達、Hさん。
人柄の温かさとスマートさが絶妙に同居する男性で、
僕はいっぺんに大好きになった。
そこでYさんという親切な女性に地下鉄の乗り方と、トイレの借り方を教わった。
時差ボケは無かった。
いつもボケているので13時間くらいずれていても無問題だった。
近所を散策し食い物を買う練習などをしていると
あっという間に夜になってしまい、この日は就寝。


≪グラウンドゼロ≫

翌朝。
NY最初の朝。
雨が降っている。

ブルックリンからLトレインでマンハッタンへ。
8番街14丁目でEトレインに乗り換え、南下。

ワールドトレードセンター駅の一個手前の駅で、Eトレインは止まってしまう。
地上に上がる。

ああ。

ああ、わかる。

普段死ぬほど方向音痴だけど、
今日はわかる。

巨大な空虚の気配を追っていく。

徒歩二分ほどで、
高層ビルの隙間にぽっかりと、うつろが現れた。
これに違いない。

現在のグラウンドゼロは、鉄柵で覆われた広大な敷地であり、
一見するとただの工事現場だった。
ショベルカーやトラックが作業を続けている。
2009年、フリーダムタワーの完成に向けて、
土台工事は既にかなりのとこまで進行している。
鉄柵の周囲は、花々や遺品や子供達の寄せ書きや
事件の痛ましさを伝える写真やテロ当日のタイムラインを示す表などで
デコレイトされている。
観光客が写真を撮り合っている。

自分は感情を失っている。
嬉しくも悲しくもない。
ただ、そこを見ている。

その場で配布されていたフライヤーで
近隣に立つ姉妹ビル、7WTC(7ワールドトレードセンター)が
45階を展望台&911写真展として解放していることが判ったので
そちらに移動した。
厳重なセキュリティーをパスして、階上に上がる。
グラウンドゼロを真上から見てみるつもりだった。
まずは展示されている写真から見ていく。
それらはテロ以降の右傾化、
米国内でのナショナリズムの盛り上がりを捉えたものが大多数だった。
巨大な壁一面に書かれた、血涙を流す自由の女神のグラフィティ。

女神は米国民にとってやはり大きな存在らしく、この他にも
アメコミ調の自由の女神がアラブ系男性の血が滴る生首を鷲掴みにした図柄の
タトゥーを入れた太い腕を誇示する白人男性の写真などがあった。
刺青としては他に、
若い女性の背中を、在りし日の2本のビル、ブルックリン橋、
星条旗、コンドルが覆っているもの等を見た。
Gone but not forgotten 9-11-01 と添えられている。
生涯消えないやり方、刺青でもって肉体に彫り込まれた、
悲劇の素描、憎悪、復讐の意志、
あるいは、誓い、願い。
主題は同じ911でも、表現のされ方は様々だった。

他に、星条旗柄の一軒屋の写真、これが随分たくさんあって、驚いた。
日本で、全面、日の丸柄の家屋なんて、僕は一度も見たことないんだけど、
将来、他国の攻撃などを受けてナショナリズムが極度に高揚した場合、
やはりそうしたものが現れるのだろうか。

一通り写真を見た後、フロアの北側の窓からマンハッタンを眺望して行く。
初めてまともに見る昼間の摩天楼のくすんだ美しさに思わず息をのむ。

今僕は45階に居る。
飛行機が突き刺さった箇所よりも低い。
それでもここは、随分高い。
周囲の高層ビル群に比しても、やや高いのである。

110階建て417mのWTCは、圧倒的に高かったのだ。
文字通り、NY金融街のランドマーク、
アメリカの急所だったのだ。
それが実感できた。
実は山手線の内側ほどのサイズしかない
小さなマンハッタン島にそびえ立つ、繁栄の象徴。
戦争を踏み切ったのも無理はなかったと、この時初めて
テロへの報復に対して肯定的なことを思った。
ただ、無関係なイラクで殺戮を重ねたことが解せないんだけど。

南側に向け、ゆっくりと歩を進めてゆく。
ロウワーマンハッタン。
高所から見るとその美しさがいっそう際立つ。
傷つけられるのが似合わない土地だ。
そしてこの高さから見ると、海まで後ほんの少しだと判る。
徒歩10分か15分か。30分はかからないだろう。
海面を船が横切っていく。
遠目にリバティ島が見える。自由の女神が屹立している。

フロアの南端にやって来た。

顔をゆっくりと下げる。

遥か下に、グラウンドゼロがぽっかりと口を空けている。

顔を正面に戻し、2001年9月11日午前9時3分に
ニューヨーク湾の方角から飛来した、
二機目の旅客機をイメージした。
海の向こうから、目の前のガラスの壁に
機体がどんどん近づいてくる。
どんどん近づいてくる。
誰もが最初は何かの間違いだと思う。
でもそれはまぎれもない現実である。
操縦席の青年が見える。
ムスリムである。
目前に迫った成就への安堵がそうさせるのか、
その瞳は澄み切っている。
目線が一直線上に重なった。
彼の視線がまっすぐにこちらを見ている。
僕の頭部を突き抜けて、ビルの壁面を突き抜けて、
米国を見ている。

胸が詰まる。
悲しみが湧いたことに驚いた。
本当の事を言うと、
自分は霊を悼みに来たのではない。
詫びに来たのである。
ここの崩壊を、
作品の支柱として、
シンボリックに扱うことを、
詫びに来たのである。
許してもらいたいわけでも罪を逃れたい訳でも無い。
確認、とか、報告、に限りなく近い詫びである。
ここに立つとはっきり判る。
僕は国府とは違う。
2001年、911、TVの前の僕は、
米国の受難を悲しんだりはしなかった。
僕は最初、こう思ったのだ。
「ああ、世界は終わってしまうかもしれないな。」
そして、それよりも強く、こう思った。

ああ、音楽、瀬戸際だ。
あらゆる表現者が敗北する。
この光景を超克できない。





この後、およそ1日おきに、計3回グラウンドゼロに来た。
そしてイメージを重ねた。

衝撃、轟音、熱波、
砕かれ、焼かれ、煙にまかれ、崩落する。
僕は飛び降りる。
耐え切れずに、飛び降りる。
次々に、飛び降りる。
ビルの半径20Mあまり、火炎に追われた人々が降り注ぐ。
落ちてくる。
そして半径10Kmに渡って、白い灰が降り注ぐ。
小さなマンハッタン島を数ヶ月間、すえた匂いが包み込む。



僕は現在の911ファンタジアの脚本や曲順に
ほとんど手を入れないことにした。

声入れと編曲のディティール以外もうほとんど出来ているこれ、
遺族の誰も、喜ばないだろう。
ただ、2001年秋、日本の21歳の一傍観者として
この世界的大事に引きずり込まれ、僕の人生は明らかに変わった。
忘れようもない人生の切断面となった。
なので、「さいはて」の制作を諦めた直後の2005年、
一気に絵を描いたこれは、
120%、シンガーソングライター的なアルバムになると思う。
極めて個人的な歌で、パブリックに触れたいと思う。
それを、僕のお客さん、友人、
旧知、未知にかかわらず、たくさんの人たち。
それから世界中に大勢いる、「ものを作る人たち」に対して、
なんらかの表情で手渡す事がかなえば、と考える。

ここで既に描かれていることに殉じよう。
これは79年生まれの自分の「青春の産物」として総決算なのだと思った。
倫理的な甘さは排除しきれないだろうし、思慮も品格も何も無いので
怖くもあるし、恥ずかしくもあるけど、
作り終えたらその後だいぶ、新しい歌が歌えると思う。
さらに有機的に「音楽」に関われると思う。

10歳〜20歳まで、90年代の10年間というのは
コミュニティの崩壊、オウム、大地震、サカキバラ、
援助交際、薬物依存、一億総精神病理化など
ろくでもない事ばかり起き、
そのどれ一つとして己と無関係のものは無く
自分の血肉に食い込んでいるが、大した反応は取れず
状況に犯されるがままだった。
渦中に居過ぎたということが有るかも知れない。

故に自分の世代にとって911とは、
どうしても借りを返さなければならない最初の事件だという認識がある。

そんな感じで、少なくとも今後の制作方針は固まった。




≪ハーレム≫

準備中。


≪その他≫

準備中。




posted by TAVITO at 23:57| 東京 ☁| ★911ファンタジア★ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月13日

いってきます

さて、これから寝て起きてすぐ、成田に出発です。

5日に釧路から戻って今日まで死ぬほどバタバタしてて、
もう駄目かとも思ったのですが、間に合いました。

昨夜、グラウンド・ゼロへの道順だけは、頭に叩き込みました。
とにかく、そこにさえ行ければ良いのです。

他に、例えば、ハーレムに行って
ソウルフードを食ってみたいだとか、
日曜になったら教会へゴスペルを聴きに行きたいだとか、
少しは願望もありますが、まあ、行けなくても構いません。



英語はヤバイです。
「I'm menstruating.」
生理中です
「Don't touch me !」
さわらないで!

この2つしかまだ覚えてない。。

決してふざけてるわけではないんです。
なにはなくともトイレ中だけでもと
英会話本を熟読するようにしていたのですが
いつ頁をめくってもなぜかこの2つの文のとこに行ってしまって、
焦り気味の頭がついついそれを反復して、、、
いつしかネイティヴと見紛う程の
正確な発音まで身に付けてしまったのです。
テンパってたのかなぁこの数日
正直気が重いんだよ行くのは!色んな意味で!

いやしかしそんな事を言っていてはいけない
これから8時間ほどで出発するわけですから。
超短期で語学を学ぼうとする者として、
ちょっと調子が悪かったということは言えるかもしれません、が、
ここまで何も知らないと逆に腹をくくれますね。
あいさつの言葉、入国審査用の言葉、
そして道順を聞き、地下鉄やタクシーに乗る
余分なトラブルを回避する
あるいはちょっとした買い物のための言葉。
NYでの僕からは、様々な言葉が欠落しています。
この事は不安と期待をあおります。

後は、グラウンド・ゼロの前に立つ事に対して、
完璧に腹をくくらないといけない。

離陸後13時間だか飛行機に乗ってないといけないので、
その間になんとか精神を座らせます。
posted by TAVITO at 03:59| 東京 ☔| ★911ファンタジア★ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月11日

911

今日で丸五年になる。

TBSで21時からやっていた
911に関する特番、観た。

心底のショックを受けた。
長い迷いの間にいつのまにかぼやけがちになっていた部分が、生々しく眼前にあった。
約二時間の放映のうち
前半の一時間は、もうやれない、作れないと思った。
制作中の盤を破棄して引退したいと思った。
後半の一時間は、初心に帰れ、全ての他作業を放棄して録音に徹せよ、
自分自身に命じる声が頭蓋の中で反響し続けた。
飯と屋根が惜しくて細かい仕事をどんどん入れる
原始的な自己マネージと自己プロモート、駄目だ、手に余る
≪歌の事故≫での演奏は今の大きな喜び、学び。
でも駄目だ。全て切り上げなくては。
手に余る。下手な脚本と下手な演奏と下手なトラック制作、
気を抜けばたちどころに崩壊するそれらの整合性、それだけでたくさん。
俺のキャパシティーでは。

思い出した。
2000年までは地獄だった。2001年秋、テロが起き、全てはもっと悪くなった。
仏教徒音楽家国府達矢は過激化していった。
理屈下手な国府は無意識レベルで911という切断面に対応しようとした。
90年代末以来めざましい変化を遂げていた国府の音が、911への焦りと悲しみを契機として一気に飛躍した。その時ようやく僕は国府の音を解した。
国府との衝突を繰り返しながら、引き込まれるようにして僕自身、仏教に接近する。
キリスト教とイスラム教が火花を上げる中、仏教に接近していく。
国府の過激化について知るため、己の精神の型を根本的に矯正するため、
そしてヘヴンリィ制作のきっかけになった何人かの友人に触るため
自分は仏教の表面をなぞり始める。

僕は思い出した。この番組を観て。
あの日からどれだけ僕達が狂ったか
あの日からどれだけ僕達が狂ったか
あの日からどれだけ僕達が狂ったか
世界は大きく変わったが
このちっぽけな僕も変わった
仏の場所を知らされた
でも僕はそこに立ち入ることが出来ない
僕は触ることが出来ない
いつもそう
僕は触ることが出来ない
何千人、その後の戦争も含めると何万という犠牲者
僕は触ることが出来ない
音楽
音楽が鳴っているが
僕は指一本触ることが出来ない
きっと触れる奴も居るのだろうが
僕には無理だ
自分の手は必ず空振りする
何一つ解るわけない。僕は死んでいない。生きている。
僕は焼け爛れていない。僕は粉々になっていない。



2003年3月20日
最初のイラク空爆の翌日、旧日記コーナーで
「童話作家が数千人必要だ」と僕は書いた。
お客さんが少しリアクションをくれた。
仕事仲間には「君の日記見てると落ちるよ」と忠告を貰った。
他の仕事仲間はこう言った。「君はあれだよ。運動をすべきだな」
全くその通りだ。スポーツをして汗をかけば、嫌なことは全て忘れられたはずなのに。
音楽ライターは笑った。いい年した連中が、ここぞとばかりに嘲笑した。
夢見がちな七尾旅人がメルヘンやファンタジーを欲しがっていると思ったのだろう。
その通りだとしか言いようがない。
ファンタジーを超えた巨大な破壊に対して、
治癒のファンタジーが沸騰しなければならない。
言うまでもないけど人間は破壊だけでは生きていけない。
ただ本来そうした事は誰か才能のある連中が共謀してやったらいいことで
僕みたいな脆弱で凡庸な人間が試みることではない。
心底くたびれている。
NYに着いたらまず、グラウンドゼロに行って献花をしたい
資料館にも行って、飛行機やワールドトレードセンタービルの残骸を、
そして亡くなった方一人一人の写真を見たい
そしてもっともっと八つ裂きになりたい
俺の盤、今のままでは到底駄目だ。
明後日、現地に行ったら、もっとそう思うだろう。
posted by TAVITO at 23:56| 東京 🌁| ★911ファンタジア★ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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