7月5日の参加について、ちょっと補足した方がいいように思ったので
何か書いてみたいと思います。
正直言って、いちばん最初にこの話を聞いた時は
ぜんぜんピンと来ませんでした。
反G8だって?話がでかすぎるよ。
そんな、集まって音楽やって騒いで、どうなるんだ?
何かを変えたかったら一人で戦うしかねえよ。
それに、世界中からむしり取ったもので肥え太って来たのは、
他の誰でもなく、まさにこの、俺たちなのに。
内心そんな風に思ってしまった。
自分はとにかくその内容に関らず、民衆運動的なものが全部イヤなんだ。
「集団の高ぶり」みたいなものを、まったく信じられない。
嘘と幻にまみれているように感じてしまう。
ムーブメント以前に、ちょっとした飲み会すら苦手。。。
これは理屈ばかりじゃなくて、生理的な部分も大きい。 性格というか。
だから何かモノが言いたかったら911FANTASIAみたいな形にならざるを得ない。
一人でしこしこ宅録作業。。
お誘いをくれたIさんは
「アメリカの一国支配を批判した911FANTASIAはイベントの趣旨にぴったりなんです」
みたいな感じの事をおっしゃっていたと思う。
その時自分はライブ演奏の直後で、気持ちが跳ねちゃってて、うろ覚えなんだけど。。
Iさんが僕の作品を真剣に受け止めて下さってることや
思い入れの深いイベントに(七尾を)呼びたいと思ってくれたことは凄く嬉しかったが、
やっぱり違和感もあった。
拙作911FANTASIAはどこかの誰かを非難したものではなくて、
自分自身を非難したものだから。
ファンタジー産業の末端に身を置きながら、何一つ大した事は出来なかった。
90年代、そして9.11を境にやってきた21世紀。
よくないことにまみれていたが、
何一つ大した事は出来ず、息絶え絶えで歩いただけだった。
自分には音楽を夢見る資格が無いような気がしていた。
911FANTASIAの制作動機は、そこに対する個人的な落とし前というか。。
「自分にものを作り続けていく資格があるか、もはやよくわからないから、
この制作を通して確かめてみるんです」というような感じのたわ言を、
舞踏家の七変化菊池さんに、電話で一度聞いてもらったなぁ。
(多謝。すみませんでした)
なんか、どうしようもない独りよがりかもしれないけど、やっぱ必死で作ってたよ!
少なくともそれはパックスアメリカーナ
(米国による一国支配体制)を非難したものではなかった。
その、ある意味安定した秩序が
かき消えてしまった後の光景を思い描くとこから始まった。
21世紀初頭、
それまで数十年間続いた覇権に小さいが深い亀裂を入れたあの911テロ以降
確実に衰弱を続ける米国が
(2008、オバマVSヒラリーのようなエンタメを演じながらも
ゆっくりと衰弱を続けてきたあの国が)
近い将来、経済的、軍事的に崩れ落ちた場合どうなるのか?
中国やロシアはどんどん力をつけて行ってる。
その場合、日本は確実に「戦争できる国」へと回帰するが、その時に、
というかその前に、そうなる前に、「ポップカルチャーはまだ有効」か、
そして、日本は、本当の意味で自立し、独自のポップカルチャーを達成できるか?
なんていうと話が大きくなりすぎちゃってイヤだけど、
日本つーか俺、
そう、「俺」は、21世紀を生きる一人の人間として、どこに進んだらええんや?
子や孫が出来た場合、現状をどう伝えたらいい?
しかも俺は歌手なんだよ!
(音波に逃げ込めない。言語にも常にかかわらざるを得ない。
歌詞からは絶対に、未来永劫逃れられない!)
おれはいったい、何を歌ったらいいんだ????????????
実際に戦争を体験したお爺ちゃんたちが老衰でどんどん亡くなっていって、
それに反比例するかのようにおかしな大人たちが増えていくのも気になってた。
「戦争の種子」を色濃く抱えた大人たち。
戦争状態への憧れを潜在的に抱えた大人たち。
正直僕の中にも90年代からずっと「戦争の種子」があった。
それを無理やり一言で言えば、こうなる。
「日本が軍事化したほうが
(致命的とも思われる)現状の文化的煮つまりから脱するのでは?」
しかしその後、世界中の紛争地域のPOPSなどを聴きまくって研究したが
戦争が起き極限状態に置かれたからといって
人間が成長し文化が成熟し、、、、、、簡単に言えば
「戦争が起きたら音楽がもう一度面白くなる」という事実は一切なかった!
当たり前か!
笑ってください。。。本気でそう考えた時期もあった。
本当にアホだった。
10代の僕はこの他にもたくさんカンチガイをしていた。
「このまま不況がどんどん進行すれば上世代の
戦後民主主義やバブル経済で肥え太って
精神を退行させてしまったやつらには決して生み出せなかった、
厳しさと誠実さと優しさを持った表現が現れ出てくるだろう」などとも考えていた。
これも今となっては修正したい考えだ。
なので、911FANTASIAは「過去の自分への戒め」として作った部分が大きい。
罰ゲーム。ペナルティのようなもの。
でも、気恥ずかしいけど、願いみたいなものだって少しはありました。
かつて音楽が持っていた強さや大きさや優しさや怖さや煌きについて
僕自身の憧れを描き、盤の中に永久に閉じ込めたかった。
自分より若い、才能豊かな方々へのちょっとしたミニ資料として。
(79年生まれにこういうしょうもないヤツがいて
こういう時代の中でこういう夢を持ってましたよっていうような程度の意味)
わくわくするようなでっかいアルバムを作ってみたかったんだよ。
それが果たせたかどうかはともかくとして、1つだけ手ごたえは得ました。
「音楽は永遠に不滅じゃあ」というまるで長嶋みたいな認識っちゅうか。。
まあ、安い自己満足に過ぎないかもしれないけど。
話が間延びしてすみません。
しかし全然言い切れないわ。
いろんな思いを込めて作ったから一口では言いづらい。。
あの作品が
反米や反グローバリゼーションのような
なにかに「反」するものとは
また少し違った性質のものである事を説明したかったのです。
あれは個人的な反省文のようなものであり、
その結果ぼくのなかの政治性まで「露呈してしまった」という作品であって、
何かを非難する目的で制作されたものではないのです。
唯一カウンターを打ったとすれば、
それは批評性を喪失し安易にPOPS化していく
ここ十数年のアンダーグラウンド音楽シーンに対してでしょうか。
それは、わざとやりました。
音楽の場所は
僕自身ずっと全霊をかけてかかわっている場所ですので
愛情や思いをたくさん持っている分、
少しは批判をしたっていいじゃないか、というのがありました。
うん。
すみません。
書けば書くほど話がややこしくなります。。
Iさんのおっしゃってる事はよくわかるんです。
根っこは同じだから。
G8
主要8ヶ国首脳会議
「すでに何もかもを持っているごく少数の連中」の談合で
世界の重要なことが勝手に決まっていくのは非常に気色悪いこと。
冷戦終焉後、全てが不透明だった90年代。
その前の十年間の膿がワーッと噴出してきた
泥沼のような90年代。
僕が長い長いバッドトリップのアルバム「あめにうたえば」で
こっそりデビューした90年代、
米国主導で急激に進行した新自由主義のグローバル化。
そして2001年。
21世紀。
実体の無いマネーと
お偉い誰かの“帳尻あわせのための殺戮”が
まるで鵺のように徘徊する、異様な世界がやって来ました。
幻覚の維持のために「必ず一定量の誰かが死ななくてはならない」世界。
まぼろしの世界。
弱いものは全員死ね!という世界がやって来た。
ああ。
でも、世界のほとんどは、ずーっと前からこうだったんだろう。
(G8サミットから省かれてしまったような、大部分の場所では)
無限に続く幻。
いつからだろうな、この悪酔いは。
知らない間に食わされちゃった幻覚剤みたいじゃないの。
この通低音の上で僕は、
あめにうたえばの続編として911FANTASIAを作ったよ。
だから、そういう意味では、
北海道でIさんたちと一緒に「反G8」してもいいのかもしれない。
正直、ちっぽけな僕にとって「反G8」は話がでかすぎてリアリティが持てないけど、
G8サミットが今の歪んだ世界のあり方を
大きく象徴する会議なのは間違いないところだもんな。
911FANTASIAを作っている最中、
僕が本当に一番気に入らなかったのはこの法律。
障害者自立支援法。
自立支援とは名ばかりで、
全国の障害を抱えた人たちの息の根を止めてしまう、究極の悪法。
人殺し法案。
「弱いものは全員死ね!」という世界がやって来た事を
本当の意味で僕が痛感したのは、
二十歳の時、レコード会社の大量首切りを見た時でもないし
イラク戦争勃発時でも憲法9条改正の動きに気づいた時でもなく、
株が流行った時やネットカフェ難民の大量発生を知った時でもない。
障害者自立支援法、この法案を知った時。
僕の83歳になる祖父は、戦争を辛うじて生き延びて養護学校を立ち上げたんだけど
2005年だったかな、この法案が参議院本会議を通過しかかっていた時、こう言っていた。
「命と引き換えにしても、これだけは止めたい。
お爺ちゃんにとってこれは、2度目の戦争なんだよ」
しかしそれは施行されてしまった。
日本は、人殺しを決めたのだ。
「すでに何もかもを持っているわずかな連中」の談合で
世界のことが勝手に決まっていくのは気色の悪いことだ。
そいつらに目と耳が付いてるとは限らない。
僕はまだ反G8についてのりきれてないけど、札幌に行ってみることにした。
ともかく場に触れれば何らかの勉強にはなると思う。
日本のシンガーソングライター(レベル・ミュージシャン)は1970年、
あるいは
あさま山荘事件などが起きた72年以降、
トラウマティックに政治との接点を絶ってきた。
これは欧米のフラワームーブメントもほぼ同じ。
ウッドストックの頃のポップカルチャーが持っていた
「音楽で世界を変えられる」という巨大なファンタジーは
一夜にして
「世界的な笑い話」に変わったのだ。
(当時のミュージシャンの気持ちは痛いほどわかるが)
そのことをもっと色んな角度から眺めたい。
歌が持つあらゆる可能性を自分なりに考えながら年取りたいなーと。
ただそう思ってます。