2005年12月17日

追悼盤について

遅ればせながら
Lou Reed & John CaleのSongs For Drellaを聴きました。

Songs For Drella.jpg

仲違いしてたルーリードとジョン・ケイルが
アンディ・ウォーホルの訃報を契機に20年ぶりに手を組んで作った
追悼盤です。
こんな異常名盤を聴き逃してたなんて、ルーファンとして恥ずかしい!
蓄積された思い、そして瞬間の熱を録りこぼさずに記録すれば、
最小の音でも、ここまで重厚になる。
ドラムレス・ロックンロールの最高峰だし、最少人数の歌劇としても最高峰。
ほんと、曲がいちいち最高ですよ。
ケイルが歌いたがるのは興ざめで、
全曲ルーの声のみだったらどんなに良かったかと思うけど
でも編曲面での功績はほとんどケイルさんじゃないかと思います。
彼のアイデアが
殺しても死ななそうなルー・リードの図太い骨にまとわりついたら
無敵なんだな〜やっぱ。
10代の頃夢中で聴いたヴェルヴェットの傑作群や
ベルリン、トランスフォーマー、ニューヨークのような盤にあった
一期一会のオーラがみなぎってて、
そんなの久しく無かったもんだから、
後回しにしているうちにこれに出会うのが遅れてしまった間抜けな自分は
ある意味とても幸運だったなあと思いました。

この盤について検索したら
良い感じのレビューをみつけたので、リンク貼っておきます。
http://www.yamdas.org/bmm/music/drella.html


追悼盤、好きです。

誰かの死に乗じて企業が編んだものじゃなしに、
1人の人間が
大切な誰かの魂を送り出したい一心で吹き込んだものは
やっぱ良いです。

死者との関係が近しければ近しいほど良い。
演奏者の精神が、グチャグチャに混乱するからです。
仮にどんな腑抜けでも、瀬戸際に立たざるを得なくなる。

整理しきれない、渦巻く感情。
やがて悲しみは極点に達し、
不思議に静かな、清らに透けた心でもって
ある1つの音像を描くかもしれないし
そのまま
悲痛にはりさけたまま
録音を始めるかもしれない。

どのような様相を呈するにせよ、意味と思いに満ちた音は、
スッカスカの発泡スチロールみたいな音に毒された耳を
生まれた時のような初期状態に引き戻してくれます。
非常にプリミティブだけど、洗練の極みというか。
鼓膜が世界を受容する時の、根源的な喜びが戻ってきますよ。


コルトレーンが没した時は大混乱になり、
アイラーなどフリージャズの大物が次々に追悼盤を出しました。
ファラオ・サンダースなんかは
一生掛けてコルトレーンの魂を包み続けているような感じがします。
人生そのものを追悼に変え、結果的に愛の音響へ至った。
大切な人の死は誰にとっても辛いものですが、
音楽家は、その後の「精神の足取り」が
音楽という形で解り易く露呈しますから
追いかけてみると面白いですよ。

あ、ニール・ヤングがカートコバーンに捧げた曲もよかったなあ。

国府達矢が大切な人のお母さんの死に際して作った
「泥に咲く華」という未発表曲も素晴らしかった。

くそ。いざとなると、あまり思い出せない。
つくづく駄目だな俺の脳は。
お奨め追悼盤あったら教えて下さいお願いします。


〜追記〜

Songs For Drellaと時を同じくして、ちょっと変わった追悼盤にも出会いました。

さらばハイセイコー

さらばハイセイコー2.jpg

競馬をやった事がない僕でも
なんとなくその名に聞き覚えがあるハイセイコー。
よほど愛された馬なんでしょうね。
こぶしのきいたテーマ曲に始まり、中核を占めるのは
皐月賞、弥生賞など生前の代表的なレースの実況中継。
思わず引き込まれ、
手に汗握りつつ、ハイセイコーの浮き沈みに一喜一憂してしまいました。
盤の最後には
ハイセイコーを手塩にかけて育て上げた調教師さんの
思い出話や追悼コメントが収録されているのですが、
もう涙が止まりませんよ。

(一部、聴き取り抜粋)
足腫れたんです。その治療すんのにこう、水かけて冷やした事もあんだけどね、もう、嫌だとなったら絶対行かないんです洗い場の方に。なんかこう、水溜まりみてえのが嫌いでね。こう、舗装が濡れたとかして、もう行かないとなったら絶対行かない。なんぼ引っ張っても。やっぱり、そういうとこはけっこう頑固だったけどね。だけど、おとなしくはなりました。
posted by TAVITO at 17:36| 東京 ☀| ★推薦(レコメンド)★ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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